本校の歩み
昭和2年
(1927)
3.
3.18
4.05
5.07
8.01
9.22
10.31
11.06
11.17
11.31
11.30
12.01

 本校女子製作品第1回展覧会を開催する。
 卒業証書授与式。(卒業生男子26名、女子17名)
 入学式。(入学生男子37名、女子14名)
 羽布、和合、黒坂方面へ春季遠足。
 宝飯郡大塚村海岸にて第1回海水浴を実施する。(〜5)
 蚕児雌雄鑑別講習会を開催。3年女子全員受講。(〜24)
 本校校友会主催第2会陸上大運動会。
 本校校友会主催第1回角力大会。
 県下学生の天覧角力(名古屋離宮)に選手を派遣(新海重治、黒谷忠雄)。
 天皇陛下豊橋地方へ行幸には奉迎。送並に受閲のため全校生徒同地方に旅行
 本校、村農会主催農産物品評会。(〜2)
 創立30周年式典を挙行。本年5月伊賀上野在住澤雄氏作詞、7月弘田龍太郎氏作曲の本校校歌の最初の合唱を行う。

 
天覧相撲に生徒出場
 昭和2年の秋、聖上ご統監の陸軍特別大演習が三河路において行われ、陛下にはご日程中を名古屋離宮にご仮泊になったが、たまたま離宮において県下の学生相撲をご覧になることとなり、作手農林学校からも新海信重、黒谷忠雄の2君が選手として出場の光栄に沿した。なお、21日には、県立岡崎中学校校庭において学生の御親閲式があり、受閲ならびに奉迎送のため、全校生徒は同地方に遊行した。(受閲参列27名、奉迎送参列78名)

創立30周年祝賀と校歌の制定
 昭和2年12月1日学校は創立30周年祈念祝典を催し、その場で新たに制定された校歌の披露合唱も行われた。この歌は伊賀上野の澤雄氏の作詞、弘田龍太郎氏の作曲によるものである。この歌詞には、第6代福井校長(大正10年)時代に制定された校訓の精神(規律・礼儀・誠実・勤労)の一つ一つが盛り込まれており、伝統尊重の精神がよくうかがえる。また、この校歌は愛知県立新城高等学校作手分校校歌として歌い続けられ、今も愛知県立作手高等学校の校歌となっている。



本校の歩み
昭和3年
(1928)
2.11

3.18
3.31

4.05
5.05
8.19
10.02
10.30

10.23
12.02
12.24

 紀元節拝賀式後、剣道大会。本日より2日間、女子部製作品並小学校本校学芸品展覧会を開催。
 卒業証書授与式。(卒業生男子19名、女子10名)
 大字高松古戸山の演習林の地ならし、並に第1回植付けを行なう。次いて数日間にわたり、約4,500本を植付する。
 入学式。(入学生男子19名、女子19名)
 春季遠足として、本宮山に参拝。
 剣道講習会を開催。最終日大会。(〜23日)
 修学旅行。江の島、鎌倉、横須賀、東京、日光。(〜7日)
 御即位記念として、村内各小学校と連合して校友会主催第3回陸上大運動会を開催。
 伊勢、明治両神宮に奉献の神饌米修祓式、即日奉献饌。
 農産物品評会。(〜4日)
 収穫祝、伊勢、明治両神宮よりの御饌米を配布する。

 
御太礼の年
 昭和3年は新帝ご即位ご太礼の年である。京都紫宸殿において、式典を行われるのが、11月10日の午後2時であった。この時刻に全国民が一斉に奉祝申し上げるので、学校でも午前中に奉祝旗行列を行ない、正2時、奉祝式を挙げた。

記念事業
 このよき年を記念する意味において、学校では2つの事業を行なうこととした。その一つは、学校演習林の増設植林であり、他の一つは付属建物の増改築であった。



本校の歩み
昭和4年
(1929)
2.01
2.11
2.12
3.11
3.18
3.20
4.05
4.15
5.03
5.04
7.09
10.31
11.23
12.01
12.24

 剣道寒稽古。(10日)
 紀元節拝賀式、剣道大会。
 第3回女子部製作品展覧会。書方展覧会。
 古戸山演習林の地ごしらえ全校。
 卒業式。(卒業男子26名、女子13名)
 古戸山演習林の植込み。(〜26日)
 入学生。(男32名、女14名)
 古戸山演習林の補植。
 神饌祓修祓式、播種式。
 本宮山へ遠足。
 古戸山営林の下刈作業。
 校友会主催陸上大運動会。
 神饌米修祓式、郎日両神宮へ奉献。
 農産物品評会。(〜3日)
 収穫祭

 
20万人の欠食児童
 昭和4年はアメリカのニューヨーク株式が大暴落。これに伴い物価の惨落で世界的不況の年となり、日本もその波にのまれた。
 農村では農産物の下落(キャベツ50個が敷島煙草1個18銭の相場)、都会では企業の不振による業者の倒産などで40万人の失業者、全国で20万人の欠食児童が出た。

同窓会長の書簡
 こうした有意義な記念事業が促進された背景には、同総会の大きな協力があったことを忘れてはならない。

 拝啓、時下陽春3月とは申せ、寒さ尚ほ去り難く候折柄、皆様御機嫌如何御消光遊ばされ候や御伺申上候。扨て、其母校も其後、追々校運の隆昌を見、御同慶に存じ候、今聞く所に依れば先年末問題なりし母校演習林増設問題も解決し、11名の実行委員も挙げられ、今春より植林着手の運びに相成り候由、尚ほ且つ昭和3年度よりは従来その例を見ざれし村費補助600円を議決確定せられし趣、何れも母校将来のため、慶賀至極に存じ候。然るに母校は今一つ新帝陛下御大礼の本年を期し、益々設備の充実を計りたく、既に数年以前より具体案に追われつつありし附属建物改築の件、予ねて世話係、区会議員夫々協議せられき結果、来る10日午後2時より母校において区長会を開き、具体的協議をせらるる趣、この際、母校発展のため、是非共同窓会役員諸君の御後援を頬わし度き旨、母校校長より懇願もえ有、本会方針も取り定め度く、来る3月11日、午後1時より熟議仕り度く候条、御多忙中恐縮ながら、万障繰り合せ御参集相成度、右母校近況御報告旁々貴意を得たく如斯に御座候。
                                       敬 具

  昭和3年3月6日
                     愛知県作手農林学校同窓会会長  竹下 義雄



本校の歩み
昭和5年
(1930)
2.01
2.11
2.12
2.25
3.18
3.19
4.05
4.10
5.04
5.10
6.14
8.17
10.16
11.01
11.15
11.28
12.24
 剣道寒稽古。(〜10日)
 紀元節拝賀式、剣道大会。
 第4回女子部製作品、学芸品展覧会(〜15日)
 古戸山学林の地ごしらえ。
 卒業式。(卒業男子36名、女子10名)
 古戸山学林植込み作業。(約5町歩・杉・桧約13,000本〜25日)
 入学式。(入学男子19名、女子18名)
 古戸山演習林助植、須山学林下刈。
 神饌田播取種、村内各小5年以上参加。
 春季遠足。本宮山登山。
 古戸山演習林下刈。
 剣道夏季講習会、最終日、剣道大会。(〜22日)
 神饌田祓穂式。
 第6回陸上大運動会。
 神饌田修祓式、即日発送。
 第6回農産物品評会。(〜12月21日)
 収穫祭

 
昭和6年
(1931)
1.29
2.17
3.18
3.19
4.05
5.02
5.03
7.18
8.11
10.19
10.28
11.18
12.24
 御影拝戴式。
 第5回女子部製作品、学芸品展覧会。(〜20日)
 卒業式。(卒業生男子17名、女子15名)
 古戸山演習林村補植(約20,000本)(20日)
 入学式。(入学生男子17名、女子12名)
 春季遠足(本宮山)
 神饌田播種式。
 ハイトリディ訓話。
 剣道夏期講習会。最終日剣道大会。(〜17日)
 神饌田祓穂式
 第7回陸上大運動会。
 神饌米修祓式
 収穫祭

 
昭和7年
(1932)
2.01
2.11
3.18
3.19
4.16
5.05
5.07
10.29
11.15
12.01
12.24
 剣道寒稽古。
 紀元節拝賀式後、剣道大会。
 卒業式。(卒業男子24名、女子8名)。
 古戸山演習林下刈。(20)
 入学式。(入学男子27名、女子18名)
 神饌田播穂式。
 春季遠足。(本宮山)。
 第8回陸上大運動会。
 神饌米修祓式。
 農産物、手芸品、副業品品評会(〜3日)。
 収穫祭。

  
昭和8年
(1933)
22
2.11
2.12
3.18
3.19
4.05
5.04
6.24
7.06
7.26
8.21
11.07
11.18
11.30
12.23
 剣道寒稽古。(1〜10)
 紀元節拝賀式後、剣道大会。
 女子部製作品、学芸品展示会。(〜15)
 卒業式(卒業男子21名、女子14名)。
 古戸山演習林の補植、下刈実習。(〜20)
 入学式(入学男子20名、女子21名)。
 春季遠足。
 古戸山演習林下刈実習。
 古戸山演習林下刈実習。
 3年男子泊して古戸山演習林下刈実習。(〜31)
 2・3年女子裁縫実習。(〜22)
 古戸山演習林萱刈実習。(〜8)
 神饌田修祓式。
 農産物品評会。(〜2)
 収穫祭。
 
 
昭和9年
(1934)
2.14
3.07
3.18
4.03

4.05
5.01
5.04
5.31
7.19
7.26

8.02
8.04
10.30
11.17
11.29
12.03
 展覧会、磯丸展。(〜16)
 3年男子開墾実習を野郷にて行う。(8)。
 卒業式。(卒業生 男子17名、女子6名)
 愛林につき、本校生徒男女黒瀬橋及田代に集合。村民と合同して、午前9時より官行造林の植樹をする。
 入学式。(男子30名、女子21名)。
 郡農会主催から加工競技会が本校校庭にて開催される。
 春季遠足。(本宮山)。
 神饌田田植式。
 古戸山演習林下刈実習(全校)。
 3年男子生徒職員と共に古戸山演習林下刈実習、菅沼、島氏宅を宿泊場とした作業。(〜30)。
 実習、全校村有、下草刈をし、堆肥の増産を計る。
 剣道夏期講習会。(〜10)
 校友会主催連合運動会。 
 神饌田修祓式。
 農産品評会。(〜1)。
 二宮尊徳翁の石像建立。

昭和10年
(1935)
1.05
2.11
2.18
3.18
4.05
5.16
5.30
7.25
8.18
11.
11.30
12.23
 剣道講習会。(〜11)。
 紀元節拝賀式後、剣道大会。
 生徒学芸品、裁縫手芸品展覧会。(19)。
 卒業式。(男子25名、女子14名)。
 入学式。(男子24名、女子20名)。
 春季遠足。(本宮山経由長山公園)。
 神饌田田植式。
 古戸山演習林下刈実習。(〜29)。
 剣道夏期稽古。(〜24)。
 神饌田修祓式。
 農産物品評会。
 収穫祭。

 
昭和11年
(1936)
2.07
3.18
3.19
4.06
5.01
5.18
5.25
5.28
7.07
7.24
7.17
10.30
11.18
11.29
11.30
12.23
 展覧会。(〜9)。
 卒業式。(男子25名、女子15名)。
 古戸山演習林の補植。
 入学式。(男子25名、女子15名)。
 春季遠足。(田峯観音)。
 朝、蚕室一部から出火一部損傷のため、野田教諭秋葉神社に代参。
 校地購入。(実習地)。
 神饌田御田植式。
 古戸山演習林下刈実習。
 3年男子古戸山演習林下刈実習。(〜27)。
 剣道暑中稽古。(〜21)。
 校友会主催、連合運動会。
 神饌田修祓式。
 家事、作法宅新築完成。
 農産物品評会。(〜2)。
 収穫祭、農具祭、針供養。

昭和12年
(1937)
1.21
1.27
2.11
2.23
3.18
3.19
4.06
4.30
5.29
6.11
7.23
10.14
11.08
11.16
11.30
12.04
12.23
 本校最初の教練科査閲。
 剣道寒稽古開始。
 紀元節拝賀式後、剣道大会。
 愛知県山林会主催木炭品評会。
 入学式。(男子29名、女子17名)。
 古戸山演習林補植。
 入学式。(入学生58名)。
 春季遠足。(本宮山経由長山公園)。
 神饌田御田植式。
 付属舎東の空間を仕切り、兵器庫を新設。
 古戸山演習林下刈実習。(3年男子)。(〜28)。
 献納真綿製作に女子青年学校生徒本日より6日間作業。
 秋季遠足。(岩津、岡崎方面、岩津農商学校へ一泊)。
 神饌田修祓式。
 教練査閲。
 農産物、加工品評会。(〜6)
 収穫祭、針供養。

果てしなき戦線、支那事変
 大陸への進出が強行されている一面、ファシズム傾向も強く台頭してきた。昭和21年2月26日の朝(東京に積雪あり、作手も雪)、在京の青年将校の一部が、東京都内の兵、千数百人を動員して政府要人を暗殺して主要建物を占拠、皇軍相撃ち合う惨事を起こし、帝都に戒厳令が布かれた。昭和12年7月7日の夜、蘆溝橋事件で日支両軍が衝突。政府の不拡大方針にもかかわらず戦火は拡大、進展していった。この7月14日に作手村にも10名に招集令状が交付され、戦線の拡大とともに動員応召者の数も戦没者数も次第に増加して、これからの太平洋戦争にかけての村内動員軍人の状況は、動員1,172名内、戦没者215名を数えるに至った。
 政府は昭和12年9月、国民精神総動員法によって、一切の精神活動を戦争一本に向け、昭和13年には国家総動員法を公布した。

昭和13年
(1938)
1.06
1.31
2.08
2.11
3.18
3.19
4.03
4.04
5.04
5.11

5.19
5.20
5.31
6.01
6.25
7.07
7.24
8.16
8.20
10.02
11.04
12.02
12.22
 古戸山演習林間伐作業(3年男子)。
 書方手芸品裁縫品展覧会。
 道路で愛護会加入全校で道修理作業。
 紀元節拝賀式後、全校で本宮山へ皇室の武運長久を祈願のため、登山する。
 卒業式。
 古戸山演習林補植、萱切作業。
 愛林デー、黒瀬官行林の植林。
 入学式。(男子32名、女子19名)。
 春季遠足。(本宮山)。
 本日より毎週水曜日大掃除後、全校で約1里ずつ(体力に応じ分つ)駈足を行なうことに決める。
 全校生徒慰問文を作る。
 道路愛護作業。毎月3回行なうことを決める。
 神饌田御田植式。
 農繁期休暇。生徒は此の間に戦死者遺族の労の奉仕をする。(〜8)
 職員生徒、愛護貯金開始。
 古戸山演習林下刈(全校)。
 古戸山演習林下刈(全校3男子泊)。(〜26)。
 女子部集団的勤労作業宿泊訓練。(〜18)。
 女子部集団的勤労作業宿泊訓練。(〜22)。
 秋季遠足(新城農蚕、長篠古城跡、鳳来寺東照宮参拝、布里農民道場等)。
 もみ乾燥室完成。
 農産物品評会。(〜4)。
 収穫祭、針供養。

昭和14年
(1939)
2.01
2.11
2.19
3.18
3.19
4.05
5.04
5.19
5.20
5.29
7.25

8.25
9.08
10.30

11.07
12.01
12.24
 剣道寒稽古。
 紀元節奉祝式後、男子剣道大会、女子閲兵分別式。
 展覧会。(〜20)。
 卒業式。(男子27名、女子11名)。
 古戸山演習林下刈実習。(3年男子)。
 入学式。(男子30名、女子20名)。
 春季遠足。(本宮山、砥鹿神社参拝)。
 校旗樹立式。(島校医寄贈)。
 御親閲拝受。
 神饌田御田植式。
 集団勤労作業(古戸山有林下刈、緬羊舎の移転、運動場拡張工事等)(〜30)。
 須山学林間伐調査。
 須山学林間伐。学林より収入を挙げるのはこれが初めてである。(〜9)。
 秋季行軍。(奥山半僧坊、井伊谷宮)規律整然、金山賞賛の的なり。−遠足が行軍と変わる最初の記事。(〜31)。
 矢場設置。
 農産物品評会。
 収穫祭、農具祭、針供養。

学校ご親閲
 昭和14年を迎えて、戦局はいよいよ緊迫の度を加えてきたが、この年の5月22日、青少年学徒に対して勅語を賜わり、皇居前広場において全国学生(中等学校以上)のご親閲式が行われた。作手農林学校からは次の代表者がこれに参加し、ご親閲を受けることになった。
 阿部五一、森本博憲、真木恒夫、阿部重俊、鈴木貢、原田重夫、原田文夫、佐々木利一、太田甲子男、斉藤省一の諸君10名であった。
 
学徒ご親閲の思い出(真木 恒夫)
 全国の代表学徒とともに東京でご親閲を受けたことは大きな栄光であった。当時学校には、まだ校旗がなっかたので、急いで知事さんにお願いして白布に「作農」と揮●していただき、これを校旗に仕立てて上京したが、出発に際して校長からきびしい訓示を受け、細かい注意をいただいた。制服は、女子部の生徒が調製したもの。靴は茶褐色のズック製のものを用いた。現地で見た他の学生達は何れも黒の革靴(他府県で一校ズック靴があった)であったが、我々は自らの質実剛健ぐりにプライドをもって力強く玉砂利を踏みしめた。
 明るい5月の皇居前大広場を埋めつくす、3万5千人余の学徒と観衆、まさに壮厳の一語に尽きた。軍楽隊のマーチに合わせて繰り展げられる節度正しい分列行進、約44分、この間、始終直立答礼を賜わる陛下のお姿には言葉では表わし難い感激を深めた。
 私たちは、感受性豊かな若き日に、皇国の学徒としてこの世紀の盛典に出場出来たことを、終生の記念として有難く思う。


本校の歩み
昭和15年
(1940)
2.08
3.18
4.05
5.30
6.19
7.01
7.29
8.03
9.26
9.29
10.01
11.10
11.11


11.16
12.06
12.23
12.24
 展覧会。
 卒業式。(男子32名、女子20名)
 入学式。(男子36名、女子21名)
 神饌田御田植式。
 市場、鴨ヶ谷に勤労奉仕に出る。
 本宮山に於ける祈願祭に全校参列。
 男子青年学校男子部宿泊訓練、学林・東田原村有林の下刈。(〜1)
 女子青年学校女子部宿泊訓練。赤羽地区内私有林の下刈。
 農舎用の杉皮を見代より運ぶ。
 秋季行事。(足助)
 神饌田抜穂式。
 紀元2,600年奉祝式。
 紀元2,600年、教育勅語譫発50周年、青年団令旨20周年記念村民大会。(於開成小)生徒500名青年団、青年学校、婦人会等500名。盛大を極む。
 神饌米献穀終祓式。
 女子服装にモンペを採用する。
 収穫祭、針供養、雄弁大会。
 男子服もカーキ色となり、配給制施行。


  肇国の精神
 国民精神総動員の下に、一億一心聖戦完遂を言葉とし国粋主義的教育が一段と強化されていったが、たまたま昭和15年(1940)、祖国は建国2,600年の年を迎えることとなり、国民的記念式典が各地で行われた。天孫降臨の神話が説かれ、神武天皇のご偉業を讃え、肇国の大精神、八紘一字の理想が打ち出されているなど、11月10日の式典を中心に各種の記念行事が全国的に繰り広げられたが、いずれも大東亜戦争を目指すきびしいものであった。人々の心はただ、愛国の至誠に燃え、いよいよ滅私奉公の誓いを固めたのであったが,あたかもこうした国民的感情の高ぶりの頂点において、米英に対する戦は宣せられた。


本校の歩み
昭和16年
(1941)
1.16
1.20
1.31
2.03
2.08
2.13
3.18
3.19
4.05
5.06

5.08
7.28
8.01
10.02
11.28
12.08

12.22

12.27
 藁細工品評会(1年男女縄、2年男女草履)。
 竹箒品評会
 女子運動靴第1回配給
 弓道、剣道、駈足の寒稽古、大会(〜11)
 考案品、書方、みのの展覧会(〜11)
 長距離競争(男野郷、女西田原)
 卒業式。
 古戸山演習林下刈。(全校)
 入学式。(男子35名、女子24名)
 古戸山演習林間伐。(全校)、丈三未口一寸程度の杉が相当出る。垂木として使用しうる。間伐は本回が最初。
 春季遠足。(前芝海岸)。
 女子、女青年団宿泊訓練、演習林、村有林等の下刈作業。(〜30)。
 男子、青年学校男子部宿泊訓練、須山村有林の下刈。(〜4)。
 秋季行事。(新城農蚕、長篠古城址鳳来寺)(〜3)
 農産物品評会。(〜30)。
 対米宣戦布告される。9日朝にも勝報を伝ふ。○○海○○○全校感激の渦を巻く。(○○○は墨でけしてある)。
 伴宝城氏より、黒瀬にて経営された栗園3町歩を寄附される。職員生徒その篤志に感じ、開墾事業に着手する。
 収穫祭。

  
太平洋戦争 
 昭和16年12月8日、日本は米英2国に宣戦を布告した。戦いはハワイの真珠湾攻撃に始まり、短期間のうちに香港、マニラ、シンガポール等への進出となり、太平洋方面の広い地域を占領した。これより先、この年の4月、国民学校令が公布され、教育内容もすべて「皇軍の道によりて」と改められ、8月には学校報国隊が組織された。毎月8日を大招奉職日として学校の朝礼では校長がこれを奉読し、戦意の高揚と銃後に処する訓話を行った。18年9月には徴兵猶予は停止され、大学、高専の学生達も適齢期の者はそのまま軍隊に招集され、残るものは工場や農場への生産部門に向けられたが、戦の激化と共に男女中等学校の生徒も学徒動員として軍需工場へ、また農場地帯へと出動した。作手農林学校の生徒達を食料増産艇身隊として、安城や豊橋方面へ出動し、村内にあっては間伐、製炭等の作業に挺身した。



本校の歩み
昭和17年
(1942)
1.07

2.02
3.10
3.18
3.28
4.04
4.19
5.12

5.28
6.02
6.05
7.09
7.22
9.25
10.22
11.16
 品評会(1年男竹箒、縄、木刀、女:萱俵、2年男竹箒、草履、竹刀、女:草履、3年男蓑、竹箒、水銃)。
 剣道、弓道、駈足寒稽古。(〜11)。
 甲種合格案、同窓会総会にて議決。
 卒業式。
 入学試験 1年入学者も試験をしたのはこれが最初。
 入学式。(男子40、女子23)。
 甲種合格運動のための同窓会役員会。(本年度に入って3回目)。
 春季鍛錬行事、前芝に向って出発したが、降雨激しくなり中止。新城より自動車で帰校。
 大和田・保永、杉平方面勤労奉仕。
 大和田・保永、杉平方面勤労奉仕。
 大和田・保永、杉平方面勤労奉仕。
 郡内草刈大会。(中等学校の部優等賞、菅沼馨)
 生徒宿泊訓練。(〜25)
 第1学年修学旅行。(伊勢・壇原奈良方面へ修学旅行)。(〜27)。
 秋季鍛錬行事。(奥山半僧坊)。
 神饌修祓式

昭和18年
(1943)
1.08
2.11
2.23
3.18
4.02
4.23
5.07
8.01

9.11
10.02
 城山開墾、製炭、黒瀬開墾の勤務作業。
 紀元節拝賀式後、寒稽古納め。
 村内青年団の奉仕により、待望のトーキー映写機を購入する。
 卒業式。(男子43名、女子25名)
 入学式。(男子41名、女子24名)
 甲種合格に伴う設備等の指導に県実業教育主事村上氏来校。
 春季鍛錬行事(本宮山を越えて砥鹿神社に皇軍武運長久祈願を兼ねて行う。)川合地内に親切される馬育成所の放牧場手入れのために勤労奉仕。(道路開放、伐木等。)作業状態を活動写真フィルムに収める。(〜5・10〜14)。
 本校昇格委員会を開き、昭和19年4月より組織変更を可決。
 秋季鍛錬行軍。(新城、長篠古城址横川発電所、鳳来寺等。)

昭和19年
(1944)
2.03
3.12
3.18
3.28
4.01
5.07
5.15
5.28
6.01
7.02
8.01
9.18
10.12

10.25
12.05
12.07

12.20
 土地改良排水工事の勤労奉仕。(〜7・3)。
 土地改良排水工事の勤労奉仕。(〜16)。
 卒業式。(男子39名、女子29名)。
 文部省指令、本日付を以って甲種程度組織認可される。
 入学式。(男子37名、女子20名)。
 産業戦士慰問のため、生徒全員でわらび、ぜんまいとりをする。
 木材生産事業学徒勤労協力により村内戸津呂に出動。
 農繁期家庭実習開始、3年男は各地に出動。
 託児所を開設する。(〜7)。
 小牧町に勤労挺身隊として3年男子出動。(〜8)
 心身鍛錬夏季強調週間。
 食料増産挺身隊
 稲刈勤労動員として、全校生徒村内各地に出動、このところ毎日動員中で人手不足の農家より感謝されている。
 本日より稲刈、麦藩として第2次動員のため全校生徒村内各地に出動。
 教練査閲を受ける。
 午後1時半頃、相当の強震あり、応接間壁落下、煙突が折れる等若干の被害があった。
 収穫祭。

 
 作手農林学校甲種に昇格

 昭和19年3月28日、作手農林学校は甲種程度に組織が変更され、修業年限も男子5ケ年、女子4ケ年に改められて県立中学校なみの学校となった。
 実に創立47年を経た年のことである。国をあげての太平洋戦争のさ中であったことは忘れることができない。

戦局の推移
 昭和17年6月、太平洋海域、ミッドウェイの海戦は戦局に重大な変化を与えた。この事によって、ソロモン、ガダルカナル島方面の戦闘は不利になり、撤退を余儀なくされた。19年には拠点サイパンを失ったが,これは戦略上にはもちろんのこと、政治的にも日本として大きな打撃であり、東条内閣の総辞職、小礎内閣が後を継いだ。

決戦死闘
 サイパン玉砕後、米軍は比島に上陸、硫黄島を攻略、ついに沖縄本島に迫った。これに対して我が方ではレイテ作戦(昭和19年)以来、世界にも類例のない「特攻隊」の出撃を強化して大きな戦果を挙げたが、米軍の沖縄上陸の翌日、戦艦「大和」が出動を前にして敵機の集中空爆を受けて海中に姿を消したことは大きな打撃であった。



本校の歩み
昭和20年
(1945)
3.06
3.29

4.01
6.01
6.18
6.19
8.13
8.15
9.17
11.05
12.23
 食料増産土地改良挺身隊として、3年男、豊橋へ出動。
 卒業式。(男子42名、女子24名)。本年度卒業生のうち、男8名、女7名は甲種の3年生に編入のため残留した。
 入学式。(男子39名、女子38名)。
 農繁期田植えのため、全生徒村内各地に出動。
 安城町へ食料増産挺身隊として3年男子出動。(〜11)。
 安城町へ2,3,年女子出動。(〜11)。
 善夫で開墾作業を行う。
 終戦の御放送を拝聴する。
 本日より授業を開始する。
 本日より服装の改正、敬礼の廃止、教練用備品、兵器一切処理する。
 収穫祭。

殉国の学徒
 この頃には既に本土全域も、連日連夜に亘ってB29爆撃機の猛威にさらされ、全国では143万戸の家が焼かれ、死者19万9千人、負傷者27万人を数えるに至った。
 昭和20年8月7日の豊川海軍工廠爆撃だけでも2,447人の死者と1万人を超える負傷者を出した。これら死者の中の464名は動員学徒や女子艇身隊員であり(作手村出身者4名)、誠に痛ましい限りであった。
 沖縄決戦場においても、沖縄師範学校男子部生徒307名、沖縄高女の女学生190名と教師14名の学徒報国隊が祖国の必勝を祈りつつ殉国の花と散った。今はただ「健児の塔」「ひめゆりの塔」だけが、この地を訪ねる人々に痛恨の涙を誘っている。

運命の日
 昭和19年師走の7日と明けて20年1月13日との2回に渉って東海地方の一部にかなりの大地震がり、県下では航空機製作所を始め、軍需工場、寺院、一般家屋などに大きな被害があり、3千人に近い死者をだした。これは決戦体制下における何か不吉な前ぶれでもあったかのように思われたが、それから200日を経た8月6日に広島が、そして9日に長崎がいずれも米軍原子爆弾の洗礼を受けて、一瞬廃墟と化し、これと前後してソ連は対日宣戦を布告した。   
かくして昭和20年8月15日こそは日本にとって運命の日となった。
 この日、ついに終戦の大詔が発せられ、交戦4年、百数十万の人名とおびただしい戦災者を出した戦いは終わりを告げた。